心を保つために 相続

親の介護を終えて空き家を守った私がついに心の重荷を下ろした日

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気候の良い秋の連休の昨日、父の墓参りに行ってきました。

実家のあった町まで車で1時間半余り、なかなか訪ねられませんが、家が売れたその報告とお礼と思って行きました。

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父が亡くなって9年、その間の維持と売却、きょうだい間の折衝はたいへんな事もありましたが、今では無事に手離せて良かったという思いしかありません。

ただ、それは家が要らなかった、ということではないのです。自分の育った家を手離したいと思う人は、あるいは誰も居ないかもしれません。

親が死んで、すぐにでも家を売りに出そうという人はそれほど多くないと思います。実際に相続してみると、思いの他負担が大きいのがわかって、どうしようもなく売らざるを得ない、そういう葛藤を少なからず経て、どうしても売却が遅くなってしまうのです。

そこではじめて「売れない」という事態に直面し、そこからさらに大きな重荷を背負うことになります。

 

 

私もその一人でしたが、親の土地の相続をする人は、多くは親の介護の責任者でもあります。

 

自宅での介護の労力は言うまでもありませんが、介護を他に委ねる場合であっても、介護保険や介護施設などの介護を授ける人や機関との対外的な交渉が必ず必要になり、その悩みは親が亡くなるまで続きます。

そうして介護を担った人が、さらに相続した土地家屋の処分に、多年にわたって心を傾けざるを得ない苦労は言い知れないものがあります。

私もしばらくはそのような思いに苦しめられました。そういうときは、実家の良いことを思い出すようにしていました。

私の場合は、DVの配偶者から逃れてそこでしばらく身を養えたこと、それから大震災の際も、家の中に居た私を、父の家が倒壊せずに守ってくれたこと。そして、再婚した母の配偶者が投資の失敗で預貯金をなくした時も、「いつでも住める家があるよ」と言ってあげられたこと。

やはり、親の家は、古いながらに困った時の住まいとしても機能し、それ以上に心のよりどころであったのは間違いありません。

土地処分の過程では、なかなかそのような思いに至ることは難しいこともあります。介護に明け暮れた自分が、親が死んでなお、なぜこのような苦労を重ねなければならないのか・・・これを読んでいる方も、そう思うことは一度や二度ではないかもしれません。

しかしその重荷は必ず下ろせる日が来ます。あるいは、年数が経って、家があって良かったという心持ちに変わることもあります。人の心は変わるものです。

そして、自分が育った家を懐かしく思う気持ち、維持するのに疎ましく思った家を恋しく思う気持ちが湧いてくる日も、そう遠いことではないでしょう。

 

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