西武信金が反社会的勢力団体に融資を行っていたことが伝えられました。
8日には、金融庁が立ち入り検査を行っており、近く行政処分の検討が行われるとのことですが、これまで、信金の中でも突出して業績を上げていた西武信金、なぜ、そのようなことになってしまったのか。これまでの歩みを追ってみます。
スポンサーリンク
郊外信金から都心へ支店を拡大した西武信金
西武信用金庫は以前は、東京都中野区から西の多摩方面に店舗を要する郊外信金でした。
現在の、落合寛司理事長が2010年に就任すると、融資需要の多い都心部に支店を拡大しました。
11年には、千代田区初の神田支店を皮切りに、その後は毎年複数の支店を設置しています。
14年、港区初の虎ノ門支店、中央区初の日本橋支店、15年、豊島区初の池袋支店、飯田橋支店、16年、世田谷区初の三軒茶屋支店、日テレ通り支店、17年には、品川区初の五反田支店、高田馬場支店と、その勢いは目覚ましいものがありました。
「百貨店」でなく「ブティック」落合理事長
これらの店舗は、雑居ビルやオフィスビルの2階に置かれる、いわゆる「空中店舗」と呼ばれていたようです。
1階ではないため、支店の設置は容易で、スピーディーに展開されたと思われます。2016年のインタビューでは落合理事長は、
「我々は「百貨店」ではなく、「ブティック」を目指した」と話していますが、それも支店のあり方に発想が類似しているかもしれません。
落合理事長経歴
落合理事長とはどんな人物か、下に略歴を記しておきます。
落合寛治(おちあいかんじ)
神奈川県出身。神奈川県立津久井高校、亜細亜大学卒業。
1973年西武信用金庫入庫。2002年常勤理事、05年専務理事を経て、10年6月より現職。66歳。
業界トップクラスに成長
18年3月期も前年同期比2148億円増(14・8%増)と業界1位の伸び率で、8年で7702億円もの増加を実現するという目覚ましい躍進ぶりでした。
落合理事長自身は、これに「1年で一つの信金ができるのと同じくらいの額だ」と語っていました。
急成長の要因は「収益不動産への融資」
急成長した裏側には、やはり、「収益不動産への融資」がありました。
融資の金利は2%
投資家の間では、「融資姿勢が積極的」と評価されており、耐用年数を超えた融資にも対応。しかも金利は、スルガ銀行と比べると、2%程度の水準でした。
全貸し出しのうち不動産賃貸業向けが43・64%(うち専業が32・45%)、不動産業向けが12・00%で合わせて5割超という数字で、特に、都心部店舗では、融資額のほとんどが収益不動産会社向けのものであったといいます。
ちなみに、業界平均22・8%からみれば、この数字が突出して高い数字だということがわかります。
業者とタッグで「まるで不動産業者」
そこまで、融資を増やしたのは不動産業者とタッグを組むというやり方であったようです。
スルガ銀行と同じように、不動産業者から顧客を紹介してもらう。、逆に、職員も案件を顧客に紹介し、融資額を増やすことに励みました。
職員の談によると「ほぼ毎日」であり、「まるで不動産業者のようだった」ということです。
他の信金が収益不動産融資には及び腰の中、西武信金は収益不動産融資自体への抵抗感を持たずに、通常の融資として扱いました。スルガ銀行が地銀の優等生なら、西武信金は、信金の模範生であったかもしれません。
他信金の役員が、西武信金の職員からノウハウを聞き出そうとしたとも言われているくらいであったのです。
改ざん発覚で金融庁が立ち入り調査
しかし、「地銀の優等生」スルガ銀行が転落したのと同じ轍を踏むかのように、西武信金も昨年11月、金融庁の立ち入り検査を受けるところとなりました。
きっかけは、融資の書類の改ざんでした。
預金額を水増し
スルガ銀行とシェアハウス問題報道の主軸、朝日新聞が、都内の不動産業者の内部資料を入手。
業者は不動産投資をしたい顧客の預金額などを水増しし、金融機関から多額の融資を引き出していました。
その主要な金融機関が西武信金であったことから、金融庁が、西武信金への立ち入り調査を開始。
スルガ銀行(静岡県沼津市)のシェアハウス融資の不正問題を受け、金融庁は金融機関の不動産融資の監督を強化していたためです。
暴力団関連企業への融資が発覚
その金融庁の立ち入り調査から、暴力団関連企業への融資が発覚したといいます。
11月の立ち入り調査の原因となった、業者の不動産融資書類の改ざんについては、改ざんがあったことは確認されていますが、業者は昨年10月に事業を停止。
改ざんは、業者単独で行ったものなのか、それとも、信金の職員が関与または主導したものかなどは伝わってきておりません。
そして、その事実調査よりも早く、今回の暴力団関連企業への融資の件が見つかったわけですが、さらに支店長クラスの幹部が、理事長の主導で、飲食接待を行っていたということまでが明らかになってしまいました。十分意識的に行っていたということになります。
スルガ銀行の時もそうでしたが、業績を上げていた金融機関の「裏」がいきなり見えてしまうということは、大変に残念です。
本当の意味での優等生や模範生はいないのか。
そうなると、地銀と信金のこれからに、もはや差すべき光はないのかもしれません。