単身世帯が全世帯の40%に届こうとしている今、誰もが孤独死に逢う可能性があります。
最初にこのブログで叔父の孤独死について書いた時は、身内の孤独死は何となく恥ずかしいものだと思っていました。
これを機会に、孤独死についてもう一度考えてみます。
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激増する単身世帯 誰もが孤独死する可能性
夫の両親は、父が亡くなり、母が一人で生活しています。気をつけてはいますが、高齢なのは間違いありませんので、孤独死の可能性がまったくないとも言えません。
さらに、私たち夫婦について考えても、夫も私も夫婦のみ、子供と同居しない場合はどちらかが残ります。その場合は孤独死しないとも限りません。
私たちばかりでなく、単身世帯が全世帯の40%に届こうとしている今、誰もがひとりで予期しない死を迎える可能性があります。
高齢者なら尚更ですが、若くて突然死する人も居ます。
だからといって、子どもとの同居や看取りが孤独死を防ぐものと考えて居たら、逆に何の対策もできなくなってしまいます。
おそらく適切な対策は、それ以外ものを考える必要があります。
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孤独死は不幸か
対策と合わせて、もうひとつ考えてみたいのは、看取られずに死ぬのは不幸だというこれまでの考え方です。
人は突然に亡くなることもあります。夜間であれば、誰でもが一人です。同じ家に居ても、別な部屋で亡くなるということだって当然あります。
病気を放置して亡くなったということでなければ、自然死に近い孤独死もあり、一概に悪いとも言えません。
家族が居ても避けられないことも
家族が居るということは、一つの幸福であることは間違いありません。しかし、結婚をしない人や家族を持たない人が不幸であると思うのが偏見であるように、高齢で一人暮らしをしているからと言って、即不幸だということではないと思います。
好みは別としても、今は三世代同居というようなライフスタイルが少なくなってきている以上、高齢で単身世帯となることも避けられないのです。
ゆくゆくは、孤独死がスタンダードになるという意見もあります。
仮に施設や病院で亡くなったとしても、身内がその時に居合わせないということは、めずらしいことではありません。
孤独死の死後の記述にあおられない
最近、ネットその他でも、孤独死の死後について書き立てる記事が多くなりました。実際に身内の孤独死に遭遇する人も少なくないわけですが、「孤独死を恐ろしい」とする記述にあおられる必要は必ずしもありません。
人も生きものである以上、死はどこにでもあります。そして「死」は「死」でしかありません。看取られていても苦しいものは苦しいし、眠るように安らかに逝くこともあります。
避けたい死後の時間経過
とはいえ、人も生身の生き物ですから、死後に時間が経ってしまえば、放置はできません。「運が良ければ見つかるだろう」というのも無責任な話です。
不当に恐れる必要はありませんが、「死」というものが避けられない以上、孤独死が起こる可能性はあるという前提で考えなければなりません。
やはり、いちばん考えなくてはならないのは、発見に関しての準備でしょう。
早い発見のために準備できること
実際の対策として安否の確認について考えられることは、いわゆる「見守り」です。
別居の家族や友人に毎日メールを送る
高齢者は、遠くの身内よりも、近くの友人が気遣ってくれることが多いといいます。仲間うちで「毎日メールを送るね」ということにして確認し合うのは良いアイディアです。
もし、相手が亡くなっているのがわかったら、連絡先は110番になります。ひとりでの死の場合は、警察が確認することになっています。その上で、警察が連絡などもしてくれます。
その場合は、万が一引き取り手が居ない場合でも、遺体は警察が引き取りますので、その後の費用負担などはありません。
逆に言えば、自分に同じことが起こった時には、友人が同じことをしてくれ、遺体の損傷も未然に防ぐことができます。その場合の友人は近くに住む人同士というのがよさそうです。
そのためには、やはり地域のサークルに参加する、地方ならばご近所づきあいをするなど、日頃からある程度の社会的な接点を持つことが大切です。