今日の「三宅裕司のふるさと探訪」の舞台は茨城県日立市。北関東に三宅裕司さんがいらして紹介してくださいます。いったいどこへ行かれるのでしょうね。番組内容をお伝えします。
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BS日テレ - 「三宅裕司のふるさと探訪~こだわり田舎自慢~」
放映時間は、今夜8時からBS日テレで。タイトルは「茨城県日立市の旅」です。
「茨城県日立市の旅」
茨城県日立市の「ふるさとデータ」はというと、
●人口:約18万人
●日本海に面した海産物豊かな町
三宅裕司さんが訪ねる場所は
投稿者の齋藤光江さんのおすすめのところだそうです。
伊師浜海岸
伊師浜海岸の美しい景色をバックに旅はスタート!海沿いの道をのんびり散策!
ウミウの捕獲場
「日本で唯一のウミウの捕獲場」とは?ウミウの捕獲場を見学!
久慈町の「たらし」は思い出の味
「たらし」というのは、なんでしょうね。「たらし」を求めてひたち南ドライブインへ行き、最後は、泉神社へお参りするそうです。
どうぞ楽しみにご覧くださいね。
茨城県日立市について
北関東でもっとも人口現象の激しい町のひとつ。市の名称と同じ家電メーカーの本社と工場があったところですが、工場はいずれも縮小または閉鎖するに伴い、最盛期には20万人を越えた人口が急速に減少しています。
空き家率は18%
中堅都市の中でも空き家率は18%と高率。戸建ては他の地域と変わらないが、賃貸の空き家率が高いのが特徴。これは上記企業が従業員を縮小したためです。
山と海の距離が近いため、これまでの住宅地の多くが、山側団地と呼ばれる山の上に造成され、高齢者に住みにくい地域に特に空き家が増加しています。山側団地の空き家、土地は大変売れにくくなっています。
消滅可能性都市
他の茨城県北部の町と同様に消滅可能性都市といわれている。日立市は、かつて「日本でいちばん景気の悪い町」として、テレビ番組で紹介されたこともあるくらいで、特に衰退が著しかったといえます。
商業が衰退しており、街に1軒のデパートも閉鎖が噂されて久しく、駅前にも寂しい景色が広がっています。
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日立市の良い点
良い点を挙げると、気候、風土と共に温暖で、上記の地形の特徴から、景観は良いところが多いです。いずれの住宅地も街にあるか、街に近接しているため比較的アクセスは良いといえます。
下は近年の日立市を伝える茨城新聞の記事です。
日立市人口減少 進む高齢化、空き家増
海と山に挟まれた日立市で、山の斜面に並ぶ「山側団地」。市によると大規模団地だけで13カ所ある。その一つ塙山団地は山の中腹にあり、坂道続きだが日当たりは最高だ。眼下には太平洋が広がる。ぽかぽか陽気の中で女性2人が話し始めた。「あら、あそこも空き家になったの?」「柿がずいぶん実ってきたね」。井戸端会議に花が咲く。
秋田県出身の主婦、橋本せつ子さん(74)は結婚を機に同市に移り住んだ。2人の子どもは独立して水戸市内に住んでいる。橋本さんと話し込む「塙山学区住みよいまちを作る会」会長の西村ミチ江さん(69)は、島根県から移住した。工都と呼ばれる日立市の住民は、就職や結婚を機に全国から集まった人が少なくない。
塙山団地のある塙山町1、2丁目は、高齢化率が市内トップクラスの53・0%(4月1日現在)に上る。2004年4月には15・1%だった。市内で急速に高齢化が進む地域の一つだ。日立市全体の30・3%より20ポイント以上高く、県内最高の大子町の43・0%(7月1日現在)も上回る。
原因は、新設された団地に住み着いた同世代の人たちが年を重ねたためだ。山側団地は日立製作所の系列会社などが1970年代から造成し、社員らが競って購入した。住宅建設も系列会社、かつて団地内にあったスーパーも系列経営で「供給」と呼ばれた。総合病院も同社の経営。企業城下町といわれるゆえんだ。
運転免許を持たない橋本さんは1人で行動する際、主にバスを使う。「昔は待たずに乗れたけど、今は多い時間帯でも1時間に2本」という。市のまとめによると、1992年に年間延べ2千万人を超えた市内の路線バス利用者数は6分の1以下に激減。本数が減るに伴って利用者数も減る悪循環となっている。
団地の高齢化の進展に対し、同市地域創生推進課は「現在は住民の共助が保たれているが、楽観はしていない。コミュニティー維持と若者の増加を図りたい」とする。(2017年10月13日茨城新聞記事より)
まとめ
風光明媚な日立市がテレビに取り上げられるのはうれしいことですが、引き続き衰退が心配されますね。
以上、今日のテレビ番組と日立市についてのご紹介でした。