前の記事、「スルガ銀行副社長、3年前に融資中止を指示 当時の岡野喜之助副社長」で、スルガ銀行の当時副社長だった故岡野喜之助氏が、約3年前に、関連する融資をやめるように指示をしていたということを書きました。
しかし、岡野副社長は、9月7日公表の第三者委員会の報告書では、今回の一連の問題に関連して「もっとも重い責任がある」と断じられています。
スマートデイズ社について伝える内部告発の文書が届く前に、シェアハウスへの融資を推進し、問題が報告されても放置を続けていたのは岡野喜之助氏でした。
岡野副社長がシェアハウスへの融資との関連はどういうものだったのでしょうか。
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岡野喜之助氏が主たる責任者と断定
第三者委員会は9日の報告書において、第三者委は、岡野光喜会長の実弟で副社長兼COO(最高執行責任者)の故岡野喜之助氏が、「不正の構図をつくり上げ、企業風土の著しい劣化を招いた」として、営業偏重の人事や過大な営業目標、審査部門の弱体化など一連の問題の背景となる構図を作り上げた主たる責任者と断定しました。(ページ下に報告書の記載を掲載)
事実上のトップは岡野喜之助氏
スルガ銀行のトップである岡野光喜会長、その2歳下の実弟が喜之助氏でした。
光喜氏が対外的な「スルガ銀行の顔」だったのに対し、喜之助氏は銀行業務全般の決裁権限を持ち、人事を掌握する実力者であり、第三者委員会は、存命中は喜之助氏がスルガ銀行の実質的な経営トップだったと見ています。
岡野喜之助氏経歴
1973年富士銀行(現みずほ銀行)で修業していた兄光喜氏より2年早いにスルガ銀行に入行。当時の頭取は父喜一郎氏。
83年 取締役に就任。光喜氏の就任は4年前。
86年に副頭取(その後副社長)就任。
光喜氏が頭取(その後社長)に就任した翌年。以後、兄弟でスルガ銀行を率いる。
岡野喜之助氏の役割
光喜氏は外部の会合など、対外活動を積極的に行っていましたが、行内の担当はシステム部門だけでした。
高額の融資案件などを除き決裁権限は少なかったのに対し、喜之助氏は銀行の業務全般を統括し、麻生氏を営業本部長に取り立て、数字をあげるよう厳しく要求するなど、業務に目を光らせていたといいます。
営業部門が「聖域化」
喜之助氏は、営業実績を極端に重視する人事評価を行い、その下で営業部門は融資を拡大。
融資で銀行の収益の大半を稼ぎ、営業部門が「聖域化」していったのです。
第三者委員会は、不正融資が多発した背景に、営業偏重人事や過剰なノルマ、審査部門の弱体化といった体制があったと指摘しており、喜之助氏がその構図を作り上げた責任者だったとして、次のように記しています。
営業への指示 第三者委報告書部分
「経営トップ層(岡野兄弟)は創業家の権力を背景に銀行を完全に支配していたが、営業部門は麻生氏ら執行役員以下の従業員に任せ、厳しく営業の数字をあげることを要求し、人事は数字次第となっていた。経営層は自ら手を汚すのではなく、営業部門が少々やりすぎても目をつぶる体制を採ってきた」
実行したのは麻生治雄元専務執行役員
実際、このような方針を実行に移していったのは、麻生氏が取り立てた営業担当の麻生治雄・元専務執行役員でした。
第三者委員会の報告で、スルガ銀行におけるいわゆる「パワハラ」が注目を集めましたが、そのような体制を作ったのが麻生氏であり、それは岡野喜之助氏が麻生氏を営業本部長に取り立て、数字をあげるよう厳しく要求するなどした挙句、麻生氏らに業務を任せきりにした結果だったようです。
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シェアハウス投資における問題
不正融資の舞台となったシェアハウスなど投資不動産向けローンでは、返済の延滞といった問題が多発します。
現在知られるようになった問題は実は、もっと早くから認識されており、ずさんな計画とさらに実質的には審査なしの名ばかりの審査で、シェアハウスや賃貸マンションの収支が悪化し、破綻が相次ぐという事態になっていました。
喜之助氏は延滞債権の回収を手がける融資管理部は喜之助元副社長の所管であり、喜之助氏は融資管理部長らと3カ月に1度程度、会議を開き、それら、シェアハウスに関連しておこっていることに関しても、報告を受けていたといいます。
取締役会に報告せず
しかし、喜之助氏は、本来、経営会議や取締役会に問題点を上げるべき立場にあったにもかかわらず、上がってきた報告を、情報を得るだけにとどめており、そうした行動をした形跡はないとされています。
シェアハウスの融資への問題点が報告されながら、喜之助氏はそれまで何らの抑止も行わないままでした。
が、その後15年になって、先に書いたシェアハウス運営会社の問題を内部告発する文書が、銀行のお客様相談センターに届いたのをきっかけに、一旦は、スマートデイズ関連の融資は中止されました。
しかし、銀行全体は、既にシェアハウス向け融資でなくては収益を上げ続けることができなくなくなっており、しかも、岡野喜之助氏は翌年急逝。
取引はダミー会社の名前を使って、そのまま継続し、そのため、被害が拡大し、この問題が明るみに出ることとなったのです。
岡野喜之助氏についての第三者委報告書
第三者委員会の報告書から、岡野喜之助氏に関するところを、以下に掲載しておきます。
故岡野副社長について
1998 年 4 月から 2016 年 7 月に逝去するまでの間、長年にわたり、スルガ銀行の業務執行全般における実質的な最高意思決定者であったが、①営業を極端に重視した人事、②過大な営業目標、③営業重視かつコンプライアンス軽視の組織風土の形成、④審査部門の弱体化、その他により「本件の構図」を構築してしまった主たる責任者であり、問題となり得る点は少なからずある。
しかしながら、これらは現在の役職員らのインタビュー結果に依拠していること、既に逝去されており弁明の機会を付与することができないこと、本人に対する責任追及の余地がないこと等に照らし、当委員会としては法的責任についての判断を留保する。
ただし、経営責任については、「本件の構図」を作り上げ企業風土の著しい劣化を招いた主たる責任者であって、優に認定できる。
故岡野喜之助氏に関して、伝えられていることは以上です。