スマートデイズ社運営の女性専用シェアハウス「かぼちゃの馬車」の投資者オーナーらに不正な融資をしたとして、金融庁に行政処分命令を下されたスルガ銀行が、昨年の12月27日、創業家の岡野光喜元会長ら旧経営陣を追加で提訴することとなりました。
今回の訴訟は2つ目ですが、その内容はどういうものだったのか、なぜ追加の提訴が行われたのか、毎日新聞のプレミア記事を元に、詳しいところを要約してお伝えします。
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岡野光喜元会長らへの2回の提訴
スルガ銀行が、創業家と経営陣を訴えた1回目は、シェアハウスをめぐる不正融資で損害を被ったとして、前会長ら9人に対し35億円の賠償を求めたというものでした。
一方、2回目である今回は、外部の弁護士などで組織する取締役等責任調査委員会が行った調査で、新たに認定されたものが出たため、さらに追加の提訴となったものです。
岡野前会長らへの損害賠償の金額は
損害賠償の金額は 1回目が35億円、今回が32億円、2つの提訴を合わせた賠償請求額は67億円となりました。
しかし、それぞれの訴訟は、まとめては行われず、静岡地裁で別々に手続きが進むということです。
岡野家のファミリー企業について判明したこととは
調査を行っているのは、外部の弁護士などで組織する「取締役等責任調査委員会」というものです。
今回の調査内容は、スルガ銀行と岡野家のファミリー企業と言われる関連企業との融資のやりとりにおいて不正があったというものです。
「岡野家のファミリー企業」とは
そもそも「岡野家のファミリー企業」とは、どのようなものだったのでしょうか。
スルガ銀行は1895年の創業から123年にわたり、創業家の岡野一族が支配。長らく創業者のひ孫にあたる岡野光喜前会長がトップの座に君臨していました。
岡野光喜会長は長男にあたり、2人の弟がいます。1人は、今回のシェアハウス投資をめぐるスルガ銀行の不正で最も責任が重いとされる故岡野喜之助副社長、もうひとりは、不動産会社をしているとされる、末弟の岡野喜平太氏です。
岡野喜之助副社長の役割
シェアハウス投資をめぐるシェアハウスの運営会社スマートデイズを受け入れて、そのスキームをまい進させた責任を問われているのが、岡野喜之助副社長です。
ある日、スルガ銀行のお客様相談室に行員と思われる人物より、スマートデイズについて告発の文書が投げ込まれました。それを読んで、喜之助副社長は、いったんは、シェアハウスのスマートデイズ関連の融資を停止。約3年前のことでした。
ところが、副社長の指示でありながら、融資は続行されて被害は拡大。
その間に、シェアハウス事業を進めた本人の喜之助副社長が亡くなってしまったために、責任の所在が不明確になった感があります。
スルガ銀行の「株主」の位置が提携の妨げに
そして、岡野前会長と、故喜之助副社長、末弟の喜平太氏が実権を握っていたファミリー企業は、スルガ銀行の大株主上位10社のうち4社を占めていると言われます。
そのために、スルガ銀行が、脱創業家の方針を示しても、岡野家とは切れないのでは切れないのではないかとも言われてきました。
特に、今後のスルガ銀行の再生には、外部銀行や企業との提携が欠かせないものであり、岡野家の支配は続いている限りは、岡野家側から口出しされることが避けられないため、どこも名乗りを上げにくいということが今までも言われてきています。
単なる「断罪」の爲ばかりではなく、スルガ銀行への再生には欠かせない道でもあるのです。
露呈した資金調達の流れ
それら岡野家のファミリー企業の一部は、スルガ銀行の融資を受けて大規模な宅地開発を行ったり、銀行の本・支店ビルを保有したりして、銀行業務と深く関わってきていました。
中には実体のない名ばかりの会社があったり、資金や融資の流れが不明確だったのですが、今回の調査で、「寄付」の名目での資金調達があったなどが判明したために、それが2回目の訴訟の賠償請求の対象となっています。
今回のシェアハウス投資をめぐる不祥事がなければ、これらが明らかになることはなかったかもしれません。
しかし、銀行内部だけではなく、多数の「被害者」を巻き込んでの露呈となる結果となり、それを是正するように命じたのは、スルガ銀行を褒めていた金融庁でした。
金融庁の命令で調査委員会
2018年10月には、金融庁が不正融資の是正を命令、そこで外部の弁護士らが初めてスルガ銀行の闇の部分に手を伸ばし、「不正」が顧客との融資にとどまるものではないことが初めて露呈したのです。
スルガ銀行と3兄弟ファミリー企業の関係
報告書によると、岡野家のファミリー企業は30社以上。岡野前会長は、そのうち財団法人「ベルナール・ビュフェ美術館」(静岡県長泉町)の理事長となっていました。
この美術館は、岡野前会長の父が建設したものです。しかし、父の死後、美術館の実質的な運営は、理事長である岡野前会長ではなく、弟の喜之助氏が行っていました。
これらは「クレマチスの丘」と呼ばれる、広大な範囲の地域にある美術館とその関連施設です。喜之助氏は、それらの施設運営に関わるものも含め、20数社を影響下に置いていたと言われています。
不動産関連の会社も
末弟の喜平太氏は、その美術館のあるクレマチスの丘とつながる地域の高級分譲地など、大規模な宅地開発を手がけた会社を所有していた上、銀行本・支店ビルを保有する会社など5社を実質的に影響下においていたと言われ、きわめて多数の会社が相互的に運営を助け合っているという関係でした。
株式に至っては、ファミリー企業は互いに株式を持ち合い、スルガ銀行からの借入金をまた貸ししているという複雑な構図を形成していたのです。
スルガ銀行も彼ら創業家にとっては、傘下の一つの「企業」に過ぎなかったのかもしれません。そうして、銀行は文字通りの「お財布代わりのATM」であり、資金が足りなくなればそこから引き出すということが、繰り返し行われていたのでした。
ファミリー企業の穴埋めが招いた破綻
地銀の中では優等生と言われていたスルガ銀行。シェアハウス事業以外にも、ニッチな個人向けローンで利用者を増やしていたのは事実です。それ自体はとても良いやり方だったという評論家もいます。
しかし、それらの優等生としての目を見張るような収益も、皆、ファミリー企業の穴埋めに回ってしまっていたのでしょうか。
あるいは、ファミリー企業への穴埋めのために、シェアハウス事業への乗り出しが必要とされていたのだったのかもしれません。
クレマチスの丘は素晴らしいところではあるけれども、一地方銀行が持つには、あまりにも立派過ぎるところではなかったか。
スルガ銀行の破綻は、シェアハウス事業の破綻でもスマートデイズの破綻でもない、それらファミリー企業の文字通りのつけが、創業家の「持ち物」と誤認された銀行に回ってしまったものだったのかもしれません。
私自身は別な美術館で、ビュッフェの絵を見に行ったことがあり、複雑な思いです。美術品それ自体は本来、資産として以上の価値があるものですので、今後も管理が続けられるよう願っています。