実家近くの知人が10年間介護をしていた親が亡くなりました。遺産はわずか30万円でした。介護施設に入れる費用もなく、次男に関わらず自宅で世話をされた知人は偉いと思いますが、遺産分割においてその30万円の遺産の半分を長男が要求したという話を聞いて、驚いてとっさに返事ができませんでした。
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10年同居して介護をした『寄与分』
この知人は60代、実家の近くでお豆腐屋さんをされている方です。旦那さんは次男にあたり、長男はそれほど遠くない隣町に住んでいます。
長男のお嫁さんが仕事を持っていたためか、自宅で豆腐屋を営む次男夫婦が、自営業で時間の都合も比較的つくために、両親の面倒をみることになったようです。
30万円の遺産で争いに
お父さんが亡くなり、その後10年以上同居されたお母さんが次いで亡くなって、手元には遺産が30万円残され、葬式は長男が出しました。
長男が葬式を出したために、次男のお豆腐屋さんは香典を包んで持参した、その際に「遺産が30万あるといった、その半分を分けるように」と、長男が言い出したというのです。
遺産を要求した兄夫婦は共に教員
この長男という方の職業はというと、なんと学校の先生をされていたという。しかも、奥さんも同じ教員で、双方が公務員といえば老後はむしろ恵まれた保障のある生活であると思います。
なので、お豆腐屋さんの方は、長男がそういうとは夢にも考えておらず、流石に、それを聞いて驚きました。驚いただけではなく相当腹が立ったと見え、出していた香典を引っ込めたといいます。
絶縁した兄弟
そして、後日、お母さんが残していた30万円の遺産の半額の15万円を持参して、兄に差し出し、「これで兄弟の縁を切りたい」と申し述べて、その通りとなりました。
ちなみに、弟が長男にあげようとしていた香典の額は10万円だったようです。遺産をもらわなくても、兄の方は香典として10万円受け取れたのに、たった5万円のために、二度と会うことのできない間柄となってしまったのです。
介護の不公平に遺言書は必須
このような事態が起こらないようにするには、どうすればよかったか。
それは、やはり、お母さんに遺言書を書いてもらうべきだったと言えます。
たった30万円なのに、と思いがちですが、こうなると金額の問題ではないのです。弟の寄与分を全く考えない、認めようともしない、兄の態度に大きな問題があるといえます。
このお宅は夫婦両方が教員をされていたので、遺産の取り分のその倍は年金を受け取っているはずで、お金に困っているわけでも何でもない。そしてこういう人は、兄弟の縁を切ろうとも15万円が欲しいのです。
介護しない兄弟には単なる遺産
親の面倒を見た子供は、遺産を多く受け取ることができる、その分を「寄与分」といいます。一体これは、遺産が30万円であろうとも、遺産分割を主張するのか、そもそもこの家は特殊な家で、この人はよほど物がわからないのではないかというと、どうもそうではなさそうです。
よく言えばこの方にとっても、それは単なる金額の多少ではなく、単に親のお金であるので、受け取るのが当然であると考えているのです。
兄にとってはそれは介護とは無縁の単なる「遺産」なのです。自分が参加していない以上、遺産と介護の寄与分とはまったく関連付けられていないのでしょう。
相続人が辞退する例は聞かない
このような場合、親の介護をしなかった兄弟が、遺産を辞退するかというと、そのような話はまず聞いたことがありません。
問題になるのは、必ず法定相続分を主張したことが原因であり、相続の問題のたいていはこのパターンであるようです。
遺産を二等分した私と弟の場合
私の弟の場合は、一切父の面倒を見ることはなく、病院に入院したとか、延命措置はどうするかとか、そのような話はその都度弟に伝えていました。
しかし、父が亡くなると弟は遺産の半額を受け取りました。私がそのように分けたからです。自分の方から辞退するという文言は全く聞かれませんでした。そして、要らない土地が残ったとなるや、そこから音信不通となりました。
預貯金の他土地分を要求した叔母の兄弟
叔母の家では、長男の叔母夫婦がやはり同居の上で、姑の世話をしました。実子の夫の方が、「早く逝ってくれないか」と言い出すほどに日々の介護に疲弊している状態でした。
残った遺産はわずか数百万円程度でしたが、叔母夫婦は快く現金を二等分したところ、弟は「土地の分の半額」を要求し、争いを好まなかった伯父は、葬儀費用をこちらが持つことを条件に折半となりました。
介護への参加は必須の条件ではない
残念ながら、介護に参加しなかった兄弟が、遺産の取り分を主張するということは、まず普通に起こると考えた方がよさそうです。
これが一体なぜ起こるのかというと、相手方が強欲でどうということではないのですね。要は、法律でそう決まっているので要求する、ということになっているのだと思います。
ただ、介護をした方は、まったくそう思えない。その差が争いにつながってしまうのです。
認められにくい寄与分
では、寄与分というもの、これも法律で決まっているので、介護を多くした方が遺産を多く受け取れるではないか、と言われそうですし、確かに「寄与分」は法律の用語であり、認められるケースもあります。
しかし、これも多くの例を見ていますが、寄与分が遺産の分割に反映しない例の方が圧倒的に多いのです。
その理由はというと、まず心理的な手間は、金銭に換算されません。そして、物理的な手間であっても、個々の行為が金銭に換算できるものはわずかですし、いつどれだけの介護を行ったということにいちいち証明を取る人ばかりではありません。「漠然と10年間面倒を見ました」では駄目だということです。
「同居=介護」とは限らない
また同居に関しては、「同居=ただの同居」であって、「同居=介護」とは限りません。寝たきりでもない限りは、そのように善意で取られることも少ないでしょう。
介護をしている側では同居をしているのだから、親の衣食住すべての面倒を見ているということが、介護に参加しない兄弟にも当然わかるはずだと思うわけですが、参加をしていない人はそれがわからず、親の介護にどれだけの時間と労力を費やしているかという説明は、ほぼ伝わらない、不可能だと思った方がいいです。
親の意思を伝える遺言書
そのため、親の意思を伝えるために、遺言書は不可欠です。親の遺産ですので、兄弟の意思が及ぶものではありません。親の意思を示すものが必要なのです。
どうしても遺言書というと、お金を分けるため、お金を欲しいため書いてもらったようで嫌だと思われがちですが、そういうことではありません。
もちろん、もらう側の方が親に無理強いをすることではありませんが、心を尽くした手助けを続けていれば、親の方が、感謝を述べたり、お前の方に遺産を多くあげたいと言うことが必ずあります。その際には、遺言書を書いてほしいというように申し伝えることです。
遺言書がなければ寄与分は受け取れない
理由は、遺言書がなければ、まず遺産を多く受け取ることも、寄与分を受け取ることも不可能だからです。
場合によっては、上のように同居をしたことで、介護をする人の住居費や生活費を受け取ったも同然だと考える例すらあります。親の介護に尽くした子どもが、しなかった兄弟に踏みつけにされるようなことがあってはなりません。
遺言書がない場合は法定相続分で分ける気持ちで
むしろ、逆に遺言書がない場合は、介護分を多く受け取りたいという要求も素振りもしないことです。
遺言書なしに多く受け取る方が法律的には無理なのです。その場合は腹を立てるまでもなく、最初から法定相続分で分けるというのが、いちばん妥当な方法です。
まとめ
お豆腐屋さんには気の毒な話だったと思います。しかし、何度考えてもこの種の話は、これに帰結します。
法律で権利があるということは、それだけ強いことなのです。それに対抗するには、法律的に効力のあるものでなくてはなりません。心配な場合は、必ず専門家にご相談ください。