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岡野家数十億円「迎賓館」で雅子様も静養 スルガ銀頭取の贅沢に労組がデモ

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スルガ銀行創業家の岡野家のファミリー企業をめぐる朝日新聞のコラムで、岡野一族が保有する「迎賓館」のことが触れられていました。

静岡県長泉町の迎賓館は数十億円、犬小屋だけで200万円といわれた贅沢に当時の労組が批判、しかし、批判を封じるために彼らは解雇されました。
迎賓館をめぐるスルガ銀行創業家の行き過ぎた贅沢について、朝日新聞の記事を元にお伝えします。

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岡野家所有だった数十億円の迎賓館

google mapより

スルガ銀行本店のある静岡県沼津市の隣町にある高級住宅地「スルガ平」。
「迎賓館」と呼ばれる丘の上の別荘は 、スルガ平分譲地の一番高いところにあります。

画像を見ると「ポツンと一軒家」みたいですが、周辺には大邸宅が並び、テニスコートや飲食店もある「静岡県のビバリーヒルズ」と呼ばれる一角です。

この迎賓館はスルガ銀行創業者、岡野喜太郎市の孫喜一郎氏が、頭取時代の77年に完成したものです。

喜一郎氏は現在シェアハウス問題で名前が挙げられているスルガ銀行前会長の岡野光喜氏の父、創業家岡野喜太郎氏からは孫に当たります。

創業者岡野喜太郎氏は倹約家だったが

岡野家自宅正門

スルガ銀行の創業者岡野喜太郎氏は、地域密着。「勤倹貯蓄」を説いた倹約家でありました。

戦時中に、当時の大蔵省の銀行課長の申し出る静岡銀行との合併を跳ねつけたという剛毅なエピソードもありますが、経営者の公私混同の別を説いており

 「企業の中の心構えとして最も大切なことは公私の別を明らかにすることだと思う。(中略)私共の銀行のように同族の者が首脳部になっている場合はこのことは特に重要である。自分の息子であり、孫であるからといって手心を加えるようなことがあったらそれは下の者に大きな悪影響となって残るだろう」

という言葉が残っています。

しかし、「勤倹貯蓄」のモットーは、わずか47歳で頭取に就任した、喜一郎氏によって、一変するのです。

 

貴族趣味だったスルガ銀行頭取3代目岡野喜一郎氏

先代頭取の喜一郎氏は大変な貴族趣味の持ち主でした。文化のパトロンを自任し、巨費を投じてフランスの画家ビュッフェの美術館や井上靖文学館を建てました。

そして、この迎賓館は、 2000年2月に皇太子さまと流産後の雅子様が西洋においでになった施設としても有名です。そのくらいのVIP施設であるということで、普通の別荘とは規模が違います。

敷地内にプール付きでスペイン風の宮殿を模した本館と宴会場や茶室を備えた日本館、ゲストハウスなどがあり海外の要人や銀行幹部を集めた晩餐会などが催されました。

昔は頭取さんの住まいで、頻繁に帝国ホテルからシェフを招く豪華なパーティーが開かれていました。数年前に頭取さんが引っ越してから使われなくなりましたが、この間突然、雅子様がお見えになったんです(地元住民)

と地元住民は、突然の警備の強化に驚いたと言います。

犬小屋だけで200万円以上!岡野家迎賓館「ヴィラ・ジーアール」

当時の週刊誌記事は、この施設「ヴィラ・ジーアール」を、雅子様の来訪に際し、次のように伝えています。

ヨーロッパの宮殿風の建物に、今ではまず手に手に入らないような豪華なペルシャ絨毯が敷かれ、値打ちものの家具が置かれていました。

広大な畳敷きの日本建築もあり、本格的な日本庭園には小川も流れている。 展望台からは南に駿河湾が一望でき、」北には富士山の頂がよく見えました。

この建物は、喜一郎氏の私的な迎賓館として昭和52年に建てられました。 建設費数十億円、犬小屋だけで200万円以上という、皇族を静養に十分お迎えができるという、華美で贅沢なものでした。

 

スルガ銀行の労働組合がデモ

そして、そのような暮らしぶりに、スルガ銀行の組合は黙ってはいませんでした。

70年代のスルガ銀行の労働組合は2000人を超える人が加入、 待遇改善を求めるとともに、「利益を従業員に還元せず、経営者だけが贅沢している」と猛反発。

77年には沼津市内で、喜一郎氏の贅沢ぶりを批判するデモも行われたと言います。

「昔の組合ならシェアハウス問題は止められた」

しかし、その時の労組委員長らは銀行から懲戒解雇され、80年代には経営寄りの新たな労組が作られました。

当然ながら創業家に異を唱える行員はいなくなったのです。

当時の労組委員長は

「解雇は批判や追記を封じ込めるのが目的だったと思う。現在のシェアハウス問題は、昔の組合なら声を上げたし、途中で止められたかもしれない」

と話しているということです。

岡野ファミリー企業の迎賓館はスルガ銀行へ「売却」

迎賓館の土地や建物は2011年に、近隣の施設と共に、 スルガ銀行へ所有権が移りました。ファミリー企業の借金を減らすために売却されたと言われていますが、これとても、美術館へ寄付を行ったということと同じことで、 売却の代金で融資の返済が行われたと見るのが妥当でしょう。

岡野家の聖地「クレマチスの丘」

この迎賓館を含めたクレマチスの丘は、これまでも岡野家の聖地と言われ、岡野光喜氏が手放すことはないだろうと見られていました。

しかし、スルガ銀行への名目上の売却で借金の都合をつけるのではなく、外に手放していたらどうだったでしょうか。

赤字続きの美術館事業の穴埋めをするべく、スルガ銀行は多い時で岡野家ファミリー企業へ1200億円の融資を続けてきました。

そのために、行員らは多大なノルマを課され、ノルマの達成のためにパワハラが増強、やむなく「詐欺師の計画倒産」といわれるシェアハウス事業への融資へと傾斜を続けて行ったのです。

そして自滅するならまだしも、多数の顧客を被害に巻き込んでしまいました。

もし、このようなファミリー企業がなかったら、あるいはスルガ銀行のシェアハウス投資への不正な融資は行われなかったかもしれません。

地図や画像で見ると、スルガ平とクレマチスの丘の、土地の広大さには驚きます。

「勤倹貯蓄」を説いた創業者岡野喜太郎氏は、「岡野公園」の銅像となって今もスルガの地を見守っていますが、自らが設立した銀行に起こった不祥事、この事態をどう見ているのでしょうか。

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