実家の売却が寂しい…実家を売る時に寂しいのは誰も同じです。
実家がなくなって寂しくない人はいないと思います。
これまでの経験から実家の家じまいについて、実家を売る人にとって気が楽になることを考えてみました。
実家の売却が寂しい…
人生も後半になると必ず、親の介護という仕事が待っています。
親が年老いてくると頭に浮かんでくるのが実家じまいの課題です。
親は命がある人間なのでいつかは終わりが来るのはわかっていますが、家についてはそんなに意識はしていないことでしょう。
それに気が付くのは、親が亡くなって実家が空き家になったときです。
実家を売る可能性
ある時点で実家は自分が住まない限りは空き家になってしまいます。
あるいは、未来はもう誰も住まないということに、ある日ふと気が付くことがあります。
そこで、
売った方がいいのかな・・・
と考えた時に、ほとんどの人が実家を売って儲けようというより先に、家がなくなると寂しいと感じるようです。
結果的に売却をしている人もいますが、ほとんどの人にとって実家はなくなっては寂しいと感じる心のよりどころであるのは間違いありません。
※実家の売却についてはこちらの記事もお読みください
「実家売却が寂しい」のは最近
実は「実家を売るのは寂しい」というのはごく最近の話です。
というのは、日本中で家が建ち始めた時期というのは、やはり高度成長期の頃です。
その頃になると、誰しもが収入が安定し、かつ銀行ローンが利用できるようなったため、家を建てる人が急増したのです。
実家が続いた時代
それ以前は、町場の人はほとんどが借家住まいをしていたので、親が亡くなったからといって家を売らなくては、ということはなかったのです。
また、それまでは新卒者の給与も安く、ローンも金利が今よりもずっと高かったので、子どもの世代はすぐに家などは買えなかった。
そのため、親と同居をして生活しているケースが多く、親が亡くなったら主に長子がそのまま家を継承するというのがごく普通の相続方法でした。
実家が必要なくなった
現代では人々がそれなりに豊かになったので、子どもも難なく家を持てるために、親子が別世帯に別居することが当たり前になり、そこから親が亡くなったら家をどうするかを考えなくてはならなくなったのです。
貧乏な時だったら家があるのはとてもありがたかったわけですが、今は誰しも自分の家があるので、地方の家が売れなくなったので、空き家問題が発生することとなってしまいました。
空き家問題のそもそもの要因の一つは、皆が豊かになり過ぎたことにあります。
そこに国の住宅政策がかぶったり、低金利の持続で空き家が増加、社会問題化してしまったのです。
家を売るのが寂しい人は女性が多い?
話を戻して家を売るのが寂しいあなたは、女性でしょうか、男性でしょうか。
なんとなく、「寂しい」という方は男性よりも女性でないかなと思います。
女性は昔は「三界に家無し」という言葉があって、家を出て嫁いでしまうと別な姓を名乗って別な家の人になってしまうという考え方でした。
実家との距離
ところが、嫁いだ先が昔は夫の親の家であるため、どうしても他人の家に暮らしているような感覚が抜けない上に女性の社会的な立場がとても弱かった。
出て行けと言われたら嫁ぎ先にもいられないし、別な後継ぎとその嫁が実権を握りつつある実家にも戻れないというのが、昔の考え方でした。
さて、どうでしょう、ここまで読んで女性の方は自分の寂しさの正体が少しはわかりかけてきたのではないでしょうか。
実家をなくす寂しさの正体
「実家がなくなるのが寂しい」ということは、実は家建物それ自体ではないのですね。
そのように感じる実家の相続人である子どもの側の状況や心境にあることなのです。
多くは今住んでいる家以外に逃げ道がある、いざという時に頼るところがある、そういうのが実家なのであって、それがなくなるというので寂しさを感じてしまう・・・
そう感じるのは実は誰もが同じところかもしれませんね。
松本明子さんの実家の例
実家じまいの例ではタレントの松本明子さんの実家売却までの経緯が参考になります。
松本明子さんは実家を売却するまでの維持費に月額にして平均27万円、往復の飛行機代などを含めて総額で1800万円を実家の維持に費やしたそうです。
誰もがその話を聞くとどうしてそういう風になってしまったのか疑問に思いますよね。
ところが松本さんの場合も、単に寂しいというだけではないもっと切実な理由があったのです。
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松本明子の高松市の実家が空き家バンクで640万円で売れた!
実家を残した理由
松本明子さんは四国の高松市に住んでいたご両親を東京の住まいに詠んで、一緒に東京で暮らし始めました。
その時に松本さんの職業がタレントであるため一収入が途絶えるかわからない、その時のために家を残しておこうとお父さんが判断されたのだそうです。
その意志は東京に家を買って住んでいたお兄さんにも言ってあったそうです。
実家をあげると伝える
東京に仕事があって住まいがあるというのはお兄さんも松本さんも同じなのですが、お父さんは妹である松本明子さんの方に「実家を貰ってくれないか」と伝えました。
松本さんにはそれが単なる実家の譲渡というのではなく、自分を思いやってくれたお父さんの気持ちとして伝わったのでしょう。
そのような気持ちがこもった家であったからこそ、1800万円をつぎ込むまでに空き家を持ち続けてしまったのです。
実家にお金をかけた理由
松本さんは実家じまいの談話においてよく自分の知識がなかったというようなニュアンスでお話もされているのです。
けれども、やはり実家が心のよりどころであったため、それだけお金をかけてしまったのでしょう。
後になって後悔した、だから早く実家を手放しなさい」というのが、松本さんのおすすめだとは思うのです。
この、実家ブログを書いている私自身も同じ気持ちではあるのです。
しかし、私自身も結局寂しいのは同じです。
実家は訳あり物件で売れないという問題も実際ありましたが、私の場合も結局実家を売り終えるまでに10年がかかってしまったのです。
そういう意味では実家に思い入れがあるのは、誰も同じなんだなとつくづく思います。
実家の維持費用の問題
ここからは、実家の維持に関する実質的なお話を少しだけしていきましょうね。
実家を売るのが寂しいという人に知っておいてもらいたいのは、 松本さんの例を見てもわかるように空き家の維持には必ずお金がかかるということなのです。
家は空き家にすると必ず劣化する
これも数万円という単位ではありませんで、松本さんのように結果的には1千万円を超えてしまうということも珍しくはありません。
というのは空き家はまだ親が亡くなったばかりの頃は、どこもたいして変わりがないように思えるのです。
しかし年数が経てば経つほど家というのは、補修をしなくてはならない場所が増えてきます。
実際に家を持って見ないと、この点はなかなかわかりにくいところですが、あらためて目を向けてみましょう。
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空き家の維持費用は年間55万円も
実家の維持ができなくなる時
例えば年数の経った車の修理などと同じです。
街を歩いている時に古い車だなあということはよく気が付きます。
今走っている最古の車はだいたい何年ぐらい前のものでしょうか。
40年経った車50年経った車などというのは実際に走っているのを見かける事はありません。直しても使いようがないまでに傷んでしまうからです。
空き家もそれと同じです。最初はお金をかけて直しても、結局は永久的に保つものではありません。
そして気が付いた時にはオンボロな車と同じように、到底売れない古家になってしまいます。
実家が空き家になったのを見るつらさ
そうなってからでは寂しい寂しくないというような問題ではありません。
それ以前にあまりにも古くなったお化け屋敷のような実家には、胸が痛んで中に入れなくなるのが普通です。
私も何度もそういう経験をしました。
自分が小さい時にはあんなにきれいで楽しかった家が、こんなに汚くみすぼらしいものに変わってしまうのか・・・
見ると胸が痛むので、実家そのものにできれば近づきたくない思いでした。
実家を売るのが寂しいと言っているうちはまだ花です。
それを過ぎると、実家がそこにあることが途方もなく辛いというように変わってきます。
空き家にかかる費用
家が古びるとそれと共に、お金がかかることがひんぱんに起きるようになります。
人の住めない中はゴミ屋敷となった家に火災保険をかけているのも惜しくなります。
掃除や草取りも年に数度、人の住まない家なのに手間がかかることもわかってきます。
そもそも住まない限りは、掃除をするにも目的がないなあと思うようになってきます。
空き家の管理がストレスに
そして実際に空き家には、あるラインを超えるとトラブルが続くようになります。
ある日突然ガス漏れが起きてガス管を撤去するとか、屋根の瓦が落ちたり、テレビのアンテナが風で動いたとか、雨どいがはずれて音がうるさいと近所から苦情が来たりするというような、思いがけないことが次々に起きるようになるのです。
そうなってからは、いうまでもなく空き家の管理は最大のストレスとなります。
そうなってからでは寂しいどころではありません。
寂しいのは空き家がそれなりの状態を保っていられる束の間でしかないのです。
これが巷でよく語られる空き家特有の苦労の内実です。
実家の終わりの姿
親は老いた姿を子供に見せながら最後に亡くなりますので、良い思い出だけが残ります。
しかし実家はモノですので壊さない限りはいつまでも同じ場所に立ち続けます。
想像してみてください。これほど悲しい事はありません。
ボロボロになった実家を見たくなければ、そこで数百万円の費用をかけて解体をする必要が出てきます。
結局最後は実家はなくなるのです。どんな家であっても他の家もすべて同じです。
人と同じく、家もいつかは土に還るのです。
家族の住まない実家の意味
ボロボロになった実家は愛着の対象となるでしょうか。
もう少し考えてみてください。
家族のいなくなって、家族の誰かが住まなくなった家は、もやは容れ物でしかありません。
空き家は写真のないアルバムと同じ
たとえば製本された形のアルバム、フォトブックを想像するとよくわかるかもしれません。
アルバムの中に写真が沢山貼ってあるときは、それでこそアルバムです。
ページをめくるたびに人は幸せな思いになります。
しかし、アルバムのページに写真が一つも貼っていないとしたらどうでしょうか。
それは空の冊子であり、もはやアルバムではなくなります。
ただ、そこに写真があったという思い出だけが残りますが、それは実はアルバムに残っているわけではないのです。
写真のないアルバムに思い出が残るのではなくて、それは自分の心の中にこそある記憶なのです。
実家に住んでもらう意味
家もそれと同じです。
家を土に還すまでにはまだ間があるというのなら、実家が住めるうちけ欲しい人に売って使ってもらいましょう。
人に住んでもらえば、家も生気を取り戻します。
家族が家の中で笑い合ったり、身を寄せて眠ったりします。
皆で寄り集まって、ご飯を食べたりする光景が戻ります。
家は再び容れ物から、本来の意味である家に戻るのです。
実家は空き家だから寂しい
あなたにとって、家がなくなるのは現時点では未来の話です。
未来の話を想像する寂しさであるのですが、たぶんそれは家がなくなるのが寂しいのではありません。
今現在、家族が住まなくなった実家の家の様子が寂しいのです。
あるいは今後実家に誰か他の人が住んでいるのを見るのは、それも寂しいかもしれません。
ですが、誰も住まずに朽ちていく家を見るよりはずっと良いのです。
実家を手放す時
空き家となった実家は、実際問題としてはもちろん、自分の気持ちのためにもいさぎよく手放しましょう。
そうして何よりもまず、あなた自身の気持ちを楽にしてください。
実家のなくなる寂しさというのは、家がなくなってからのことではなくて、今あなたが感じている寂しさです。
それは実家が残っていても、あるいはなくなってもどちらにしても変わることはありません。
親が亡くなる寂しさが、亡くなった後ずっと続くのと同じで、けっしてなくなりはしないものです。
実家の寂しさが懐かしさに
そして、その寂しさはいつまでも同じ寂しさではありません。
寂しさはもう少しすると「懐かしい」という気持ちに変わっていきます。
それは今想像する寂しさよりは快い感覚の親しみに近い懐かしさです。
その懐かしい気持ちを大切に、これから住む家、今住んでいる家と周りにあるものを新しい心のよりどころとしていきましょう。
今あるものに目を向けて幸せに暮らす・・・それが実家売却の寂しさの一番の癒しとなるでしょう。
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